疲弊するのはもったいない
今日、Twitterで落合陽一さんの以下の投稿を目にした。
一回言及されたらミュート,二回言及されたらブロックという指針で一年間twitterを運用しても,フォロワー40万人弱に対して合計4000人弱しか攻撃的なユーザーはいなかった.フォロワー比1%弱の攻撃に踊らされる必要はあるか
そう、落合陽一さんでこの数なら、無名の自分なんてほぼゼロに等しい。ごくごく少数の攻撃的な人に心を疲弊するのは勿体ない。
Twitterのミュート機能って便利
片っぱしから
☑️怪しい稼げる系
☑️怪しいプレゼント企画系
☑️ブログ収益系
☑️ネットワーク系
をミュートしていった
そしたら
居心地のいい世界になった
例えば、嫌われ者と言われたキンコン西野さんが、今やスゴイ人になってる。他人の評価は変わるもの。だからそれを気にするより、努力するのに時間を使った方がいい。他人のコロコロ変わる評価なんて、気にしない方がいいという好例。
他人より、自分の事を気にした方がいい。
他人の目を気にして、他人の目を「やらない理由」にするのは簡単だけど、他人の目に縛られて生きるって勿体ない気がする。そもそも他人は他人に興味がない。
電車に乗った後その車両にいたひと全員を把握していないように。
もう夜。身体が子供のころよりしんどくない、それだけでとても幸せだ。健康なことは「とてつもなく幸せなこと」だと小さい頃に気づけたのは、病気のおかげ。だから今ある幸せに感謝する心をもてた気がする。今ある幸せは数えたらたくさんある。今ある幸せに感謝。
憧れている人のようになりたくて、口癖や言葉だけを真似してもそうはなれはしないし、
頑張っている人を否定批判するだけでは成長しない。憧れている人は誰かの口癖や言葉だけを真似してそうなったのだろうか。
自分の人生と交わっていない人を批判しても自分の人生はよくならない。関係ない嫌いな人の人生の1ページを見るより、自分の人生の1ページを見たら、それよりやる事、やるべき事が沢山ある気がする。よそ見している時間はない。もったいないし、そういう人のために貴重な時間を使いたくはない。
その口から出た言葉と行動が一日を作り、そして人生となる。その耳から聞いた言葉とまわりの行動はその人の人生である。どんな人生にするのか、誰の人生にするのか。決定権は自分にある。他人ではない。嬉しい言葉と生きるのか。批判、否定、批評の中か。
どんな人生にしよう
どんな人生にしたいか
『落合陽一さんと二宮和也さんの対談まとめ、落合陽一に二宮和也が聞く』何者?何してるの?どこまで先を見ている?人間はどういうふうになる?やりたい事、プライベートの区切りは?
好きな本
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- 作者:ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
- 出版社/メーカー: 日経BP
- 発売日: 2019/01/11
- メディア: 単行本
落合陽一