透明人間
SNSには、フィルター機能がある。
知っていますか?
最近、Twitterでフィルターをかけた。
そしたら心地よくなった。
見たくない人のからみを知らずに済む。
通知がこなくなる。
この機能が進化すると、さらに心地よくなるけど、そういう人はどこで生きるのだろう?と思った。
フィルターをかけると、僕にとって見たくないその相手は透明になる。
僕の見ている世界から、消えてしまう。
いない存在になる。
限りなく透明になる。
同じ地球にいるけど、僕にとっては、いなくなる。僕にとって、なんらマイナスではない。
透明人間だ
どんどんこの機能、向上していくんだろうな。
その先はどんな未来があるのだろう?
すでに社会では、そういう人たちは透明な存在になっているから、ネットの世界で居場所を作ろうとしているのかな?
リアルの日常で、人の悪口をいいふらしたり、足をひっぱりまくったら、誰にも相手にされなくなる。
それはネットでも同じで、これまではそこまで可視化されていなかったけど、これからはテクノロジーの進化により、それは現実世界と同じように、ネットの中でもおこるだろう。
その時、その人たちは完全に透明人間になる。
誰にも、反応されなくなる。
誰にも、認識されなくなる。
道ばたの、名もない花のようになる。
そんなの、苦しい。
シンドイ。
けど、それって、遠くない未来で、きっと実現するだろう。
その時、透明人間になった人は、何を想うのだろう?
いま、もうコミュニティの時代だ。
オンラインサロンや、趣味の場所や、なんらかのコミュニティに、入っていたり、入りたくなる。
こういう人たちは、きっと受け入れられる所はないか、限られてくるだろう
自分で、自分の首をしめていく
自分で、自分の世界を縮めていく
いつ気づくのだろう?
ずっと気づかないのかな?
自分にも、自分を見えなくなるのだろうか?
そういう世界を求めていたのだろうか?
そういう世界が、ホントにいいのだろうか?
感想レターだとうれしいです
真木 崇志さんのレターポット | LetterPot (α)