死ぬという事
ふと、思う。
「いつまで生きられるんだろう?」
120才まで生きる予定だけど、生きていられるかなんて誰にもわからない。今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。だから死ぬ事は考えないようにしている。そのかわり、ワクワクすることを考えるようにしている。たぶん一回きりの人生、楽しみたい。
人生で何度か「死ぬかも」と思った瞬間がある。そのあとしばらく生きているか死んだかわからなくなったりもした。だから今が余生だと思ったりもする。そんなかんじで、友達が亡くなった時、夢だと疑った。けど、夢ではなかった。人はいつか死ぬ。
簡単に死ぬ。
今の日常は当たり前ではない。
まだまだ死なないけど、いつか死ぬとき、楽しかったことをきっとその前に思い出すんだろうな。シンドイこともあるけど、楽しいこともある。まだまだいっばい、たくさん楽しい思い出作りたいな。つかれたなーと思うときも、ふと思い浮かぶのは、僕は楽しかった思い出だ。
電車に乗っている。
顔を上げると色んな人がいた。年齢も違うし、服も違う。きっと住んでいる所も違う。目的の駅に着くと降りていき、次に新しいはじめましての人が乗ってくる。人生もこんな感じなのだろうな。色んな人に出会い、別れていく。だから仲良くなれたらその縁を大切にしたいな。
それぞれ親がいたり、家族がいたり、孤独だったり、それぞれ仕事楽しんでいたり、しんどかったり、休憩中だったり、それぞれ楽しい日であったり、悲しい日であったり。
そんな世界の中にいる
自分以外の人の言葉や行動に理解できない時あっていい。みんなが同じなんてあり得ない。なぜああいう言葉を話すのだろう?なぜこんな事をしているのだろう?それは相手の問題だ。そもそも問題と認識してさえいない場合が多い。直接言うか離れるかしないと終わらない。
死ぬとはどういうかんじなのだろう?
死んだ事ないからわからないけど、それは意識のない状態だから、寝ている時と同じような状態なのかも。そうならば、これまでみんな何度も死んだり、生まれてきた事になる。寝て起きたら新しく生まれると思えば、明日の見る景色は今日とはちがうのだろう。
みんな生きてるけど最後は死ぬ。
天才も、お金持ちも、すごい人も、どんな人でも最後は死ぬ。いつかはわからないけど死ぬ。けど、死ぬ事は不幸ではないという考えもある。そうじゃないとみんなハッピーエンドにならない。
ハッピーエンドってある
あると信じたい
ハッピーエンドになる人生にする
僕の持っている色々な困難は死ぬまで続くから、基本気にしていない。気にした所で治らないのだから、まあいいか!と言ってその困難を肯定してしまっている。考えても解決しないから、考えないようにしている。今ある幸せや、今ある長所と共に生きる。例えば、僕のお腹には大きな手術跡がある。12センチくらいかな。生まれて3日目からある。これを見てどう思う?「かわいそう?」「大変?」僕はどう思っているだろう?答えは、気にしていない、だ。むしろかっこいいだろうとさえ思っている。ぼくはこの跡がある事を一度も不幸と思った事はない。
僕はこの体とこの心で今日まで生きてきた。他人の価値観で、上とか下とか、幸せか不幸せかなんて決められるなんてゴメンだ。
幸せか、不幸せかは僕が決める。人によっては不幸に見えるかもしれないし、なりたくないと思うかもしれないが、そんな事はどうでもいい。僕はこの今の人生わりかし好きだ。
だから、自分の価値観なんかで、上とか下とか決めつけたくない。
仕事や役職より、やさしいとかおもいやりがある方がどれだけステキか!と言える人でありたい。みんなの違いを肯定していたい。
肯定してほしいから、まずはみんなを肯定したい。